ひきこもり
また、聖書では十一弟子たちがユダヤ人からの迫害を恐れてマルコの二階部屋で戸を閉めて鍵をかけて集まっていた時に、よみがえられたイエス様が扉をすり抜けて入って来られました。
「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われ、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」(ヨハネ二十章二十一~二十三節)
やがて、ペンテコステの日に聖霊様を受けた弟子たちは、新たにかえられて大胆に部屋を出て明るい光の下、路傍でも伝道するようになりました。
ある男性はひどいひきこもりでした。元々、現役で国立大学に入学するほど勤勉で優秀でしたが、ある時期から心の病となり、誰が来ても白室の扉を閉めたまま鍵を開けない。大学も勝手に中退して、実家の自室にこもりっぱなし。両親にもおばあさんにも絶対、扉を開かない、こんな状態が長く続いていました。唯一の家族とのコンタクトはいつも部屋の前に置いておいた食事がいつの間にか食べ終えて空の器だけが廊下に返されていることでした。
父親はこの一人息子を自分の経営する事業の後継者にしたかったのですが、期待は外れ、今では希望なく、なかばあきらめ状態でした。
そんな環境に導かれた小さな私にできることはただ祈ることだけでした。招かれた彼の実家の部屋の前で鍵のかかった扉に手を置いて
「イエス様。どうかこの若い兄弟をあわれんでください。部屋から出て、光の下で自由に暮らすように助けてください。」
その後、滅多に出てこない彼が部屋から出てきたことをチャンスとして、私は急いで軽く抱きしめながら頭に手を置いて解放の祈りを致しました。
「イエスの御名によって、ひきこもりの力を打ち砕く!」
それからのことです。彼は突然、冬眠から覚めた生き物のように外に出て、知り合いのところで働くようになり、その後は父のところに帰ってきてこう言いました。
「お父さん。私を雇い人の一人にして、つかってください!」
この言葉と態度の豹変ぶりに驚いた両親が後日、こう語りました。
「こんな立派な言葉と知恵、一体どこで覚えたのだろう。」
私はその報告を聞いてすぐに分かりました。
「その言葉は聖書の放蕩息子が父の待つ家に帰るときに語った言葉だ。」
今では父親の仕事を助けながら毎朝早くからまじめによく働く、ひきこもりから完全に開放された兄弟になりました。イエス様が心の室内に入って来られるとすべてが明るく変わります。