「西日本」が壊滅する…まさに次の国難「南海トラフ巨大地震」は本当に起きるか
次は西日本大震災
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震・M9.0)が発生。その大揺れ直後、ヘドロを巻き込みどす黒い濁流となった大津波が、いとも易々と沿岸の防潮堤を乗り越え、次々と人、車、家に襲いかかり、飲み込みさらっていった。その情け容赦のない凄まじい映像(光景)に日本中が凍り付いた。恐怖と衝撃はそれで終わらなかった。東京電力福島第一原子力発電所(以下「第一原発」)では、地震と津波で全電源が停止し、炉心溶融(メルトダウン)という最も深刻な原子力災害が発生。現在も懸命に廃炉作業は続けられているが見通しは厳しい。 【マンガ】「南海トラフ巨大地震」が起きたら…そのとき目にする「ヤバすぎる惨状」 あの時、内閣総理大臣から発出された「原子力緊急事態宣言」は、未だに解除されていない。震災関連の避難者は、今も全国で約3万人(2023年5月1日現在・復興庁)。インタビューに応じた福島県富岡町からの避難者Aさん(65歳)は、「原子力緊急事態宣言が解除されない限り、私たちの震災は何も終わらないし、何も始まらない」と語った。父祖伝来の地を追われ、怒り、無念、その哀しみの重さに返す言葉はなかった。 今も復興作業が続く中、「次は西日本大震災」と南海トラフ巨大地震への関心が高まったのは必然である。これまで、南海トラフでは数十年か数百年程度に一度の規模で起きる地震・津波を想定してきた。しかし東日本大震災以降、千年に一度かそれより低い発生頻度であっても、いったん発生すれば、西日本を中心に甚大な人的・物的被害が発生し、国民生活・経済活動に極めて重大な影響が生じる。まさに次の国難とされているのが南海トラフ巨大地震である。 東日本大震災から9か月後の2011年12月、政府は「津波防災地域づくりに関する法律」(以下「津波防災地域づくり法」)を制定。翌年の2012年8月、中央防災会議は「南海トラフ巨大地震の被害想定について・第一次報告」を、2013年5月にはその「最終報告」を公表。その報告書によれば、地震発生時、広い範囲で最大震度6弱~震度7の大揺れと共に、最悪の場合最大34mの大津波が襲い、死者・行方不明者は約32万3000人、倒壊・焼失・流失家屋は約238万棟、経済被害は約220兆3000億円という、東日本大震災を上回るとてつもない被害が想定されている。 2014年3月、「南海トラフ地震防災対策推進基本計画」に基づき、地震防災を積極的に推進すべき対象地域「南海トラフ地震防災対策推進地域」(以下「推進地域」)が指定された。推進地域に該当するのは「震度6弱以上の地域」、「津波高3m以上で海岸堤防が低い地域」、「防災体制の確保、過去の被災履歴への配慮が必要な地域」で、指定市町村は1都2府26県707市町村に及ぶ(2014年3月28日現在)。 さらに「津波により30cm以上の浸水が地震発生から30分以内に生じる地域」、「特別強化地域の候補市町村に挟まれた沿岸市町村」、「同一府県内の津波避難対策の一体性を確保すべき地域」の1都13県139市町村(2014年3月28日現在)を「南海トラフ地震津波避難対策特別強化地域」(以下「特別強化地域」)に指定するなど、東日本大震災の衝撃が冷めやらぬ間に、次々と南海トラフ巨大地震対策が推進されてきた。それだけ、政府が南海トラフ巨大地震に危機感を持っていることを示している。そして、「特別強化地域」などに指定されると、国による財政支援などが強化される。
社会を動かした東海地震説
しかし、東日本大震災前の南海トラフの地震対策は、石橋克彦氏(当時東京大学理学部助手・現神戸大学名誉教授)が、1976年5月に地震予知連絡会(以下「予知連」)に提出した駿河湾地震説(以下「東海地震説」)を拠り所としていた。提出されたのは東海地域から南海道にかけ、過去100年から150年周期で繰り返されてきた東海地震の発生予測などについて述べたレポート。それは駿河湾地域の観測充実や地震予知実現の必要性を強調し、「直ちに実戦体制を整えるべき」というレポートだった。 東海地震説の主な内容は、「次の東海地震の震源域は遠州灘東半部+駿河湾の領域であろう。その領域が、1854年安政東海地震の震源域には含まれていたにもかかわらず、1944年昭和東南海地震にはそれが含まれていない、いわゆる「割れ残り」があることがわかった。発生時期に関しては、現状では予測困難。もしかすると20~30年後かもしれないが、数年以内に起こっても不思議ではない」というもの。さらに予想震源断層モデルを示し、「マグニチュード8級の直下型巨大地震だから被害が激甚になること、発生の兆候が明らかになってからでは手遅れであることから、直ちに対策に着手すべき」と訴えていた。 1854年の安政東海地震以来、この領域で地震が発生していないことへの漠然とした不安もあり、東海地震説はメディアなどでも大きく取り上げられた。1978年6月、政府は「大規模地震対策特別措置法(以下「大震法」)」を制定(同年12月14日施行)。 この法律などによる東海地震予知体制の概要は、傾斜計等の観測データに異常現象があった場合、直ちに地震学研究の第一人者たち6名からなる「地震防災対策強化地域判定会」(以下「判定会」)を招集。判定会で地震発生の可能性などが検討され、可能性が高まっていると判定されると、気象庁長官から内閣総理大臣に報告され、閣議に諮った上で、警戒宣言が発出されるという画期的なものだった。 予め想定した特定の大規模地震(東海地震など)を対象にして、こうした「事前予知」を前提として「警戒宣言」発出の防災体制は、2021年5月20日の法律改正まで続いた(現在の判定会は、南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会と一体となって検討を行っている)。 その間に阪神・淡路大震災(1995年)もあり、東海地震説が契機となって、結果的に社会全体の防災意識向上につながっていった。その後も政府は「東海地震対策大綱」(2003年5月)、「東南海・南海地震対策大綱」(2003年12月)等を策定。東海地震だけでなく、東南海地震、南海地震、三連動地震(東海・東南海・南海地震)も視野に対処してきた。
東海地震はいつ起きるのか?
東海地震説発表から30年目の2006年3月27日、静岡新聞1面トップに「東海地震説に「間違い」<提唱から30年 石橋教授見解>」という記事が掲載される。その導入部で、「駿河湾地震(東海地震)は1944年(昭和19年)の東南海地震の割れ残りで、すぐにも起こるかもしれないと考えた。30年たって、現実にまだ起こっていないのだから、『割れ残り』という解釈は間違っていたと言われても仕方ない」と、石橋氏の見解として紹介。 記事掲載から6日目の2006年4月2日、石橋氏は自身のWebページ「石橋克彦 私の考え」に意見を掲載。「この記事は私の見解を正しく伝えるものではありません。不正確な内容、センセーショナルな見出し、大きなスペース、掲載位置によって、私の本意とは懸け離れた記事になっています。それは、東海地震は当分(または永久に)起こらないのかとか、これまでの対策は無駄だったのかというような誤解を引き起こし、東海地震に備える行政、民間、個人、研究者・専門家の努力に水を差しかねないものです。東海地震の切迫性は依然として否定できず、これまでの取り組みは今後も一貫して続けていくべきものですから、この記事は「誤報」とさえ言えます(中略)」と。その上で、「しかし、その後30年間東海地震が起こらなかった現在では、駿河湾地域が第二の意味の「割れ残り」で「数年以内に起こっても不思議ではない」とした1976年時点での切迫度の解釈が、結果的に間違っていたことは明白です。この点を私は認めますが、むしろ、認めるまでもないことです。ただし、では遠州灘東半部+駿河湾地域を震源域とする東海地震が当分(例えば今後10年)起こらないのかというと、そんなことは現時点では言えません。まして、東海地震が消えて無くなったなどということは全くありません。遠州灘東半部+駿河湾地域が第一の意味の「割れ残り」であることは現在でも厳然たる事実で、岩盤の変形も増え続けていますから、ここで近い将来大地震が発生する可能性、つまり現時点での東海地震の切迫性を依然として否定することはできないのです。今世紀半ば頃と考えられている東南海地震・南海地震と連動するまで持ち越すのではないかという考え方も1976年当時からありましたが、未解明の問題がたくさんあって、そう断定することはできません(中略)」と書き、さらに「なお、30年前に、発生時期の予測が困難なのに東海地震の切迫性を強調したのは不適切ではないかという批判があるかもしれません。しかし、阪神・淡路大震災を思えばわかるように、大自然の理解がまだ極めて不十分な私たちとしては、限られた知識で危険性が考えられれば、それを共有して備えるべきだ(観測・調査・研究の強化も含む)というのが私の持論です。30年間地震が起こらなかったというのは結果論であり、幸運だったというべきでしょう」と結んでいる。 地震学の専門家ではない私でも、こうした石橋氏の考え方は至極まっとうなものと受け止めた。それに、東海地震発生時期を「現状では予測困難」とした上で、「20~30年後かもしれないが、数年以内に起こっても不思議ではない」と述べている。こうしたフレーズは防災意識啓発のためによく使用される一種の慣用句であって、それが30年以内に必ず東海地震が発生という決めつけでないことは明白である。 例えば、政府の地震調査委員会による「向こう30年以内の南海トラフ巨大地震発生確率70~80%」という長期評価も、経過時間などのフェーズが変われば発生確率も変化していくが、30年後に南海トラフ巨大地震が100%起きるという意味でもない。過去の地震発生頻度・周期など、現時点における科学定的知見を踏まえ導き出された予測計数である。正確な地震発生予測が困難な中で、現在判明している知見から切迫性を発生確率で表し、危機意識を高め備えを促しているのである。石橋氏が47年前に発した東海地震への警鐘は、今も色あせていない。
地震発生確率の功罪
ちなみに、これまで発表されてきた地震発生確率・長期評価の精度はあまり高くない。例えば、1995年阪神・淡路大震災発生直前の発生確率は、向こう30年以内に0.02%~8%だったし、2016年熊本地震を引き起こした布田川断層帯についても、地震直前に発表されていた30年以内の発生確率は、ほぼ0~0.9%だった。つまり、発生確率が極めて低いと評価されていた両地域を、突然M7.3の大地震が襲い、甚大被害を出したのである。また、宮城県沖地震(単独又は三陸沖南部海溝寄り連動(M 7級~8級))については、高い発生確率としていたが、M9級の東日本大震災の発生確率は発表されていなかった。 発生確率が高いと評価された地域には強い警告になっても、低いとされた地域の自治体や住民は、「うちは安全地域」と誤認し、防災対策に対するモチベーションが低下し対策も十分ではなかったように思われる。結果として、低いとされた地域には間違った安全宣言になっているのではないか。 実際に熊本地震直後に話を聞いた某企業の危機管理責任者は、「コンピューターのサーバーラック(棚)を、床にコンクリートボルトで固定して安心していた。しかし、震度6強の揺れで倒壊し機器が損壊。今考えれば、重いものは床だけでなく、壁や天井など複数個所でしっかり固定すべきだった。以前から熊本は地震の発生確率が低いと聞いていたので、結果的に形式的対策になっていた。サーバーなどの損壊で、業務再開は半年以上遅れた」と忸怩たる思いを述べていた。もし、今後も発生確率を発表するのであれば、過去の発生確率と的中率、科学的な誤差範囲なども同時に発表してほしいものである。 一方で、寿命100億年といわれる地球時間で動く自然現象を、寿命100年程度の人間時間で数えた向こう30年の地震発生確率や予測値は、地球時間にしたらごくわずかな誤差の範囲なのかもしれない。南海トラフの地震も人間時間で考えた規則性のある周期を正確に刻んでいるとは思えない。現在入手できる地震資料の古い記録は約1200年間程度。それもすべて正確とは限らない。それぞれ貴重な史料ではあるが、この1200年間の地震データだけを物差しにして、地球時間で動く次の南海トラフ巨大地震の発生時期を予測することは極めて難しいのではないか。発生確率や予測値は参考にしつつ、数値には誤差があることも織り込んでおく必要がある。 安政東海地震(1854年12月)から現在(2023年7月)までの169年間、東海地震の震源断層領域で大地震は起きていない。もし、長い沈黙を破って東海地震領域が動いた時、東南海、南海地震の領域も連動又は時間差で動き、南海トラフでの超巨大地震となる可能性もある。予測数値に一喜一憂するよりも、いつ大地震が起きてもいいように物心両面の準備・対策が肝要である。 中国の歴史書『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』襄公十一年(B.C.562年)の項に、「居安思危 思則有備 有備無患」「安(やす)きに居(お)りて危(あやう)きを思う。思えば則(すなわ)ち備え有り、備え有れば患(うれ)い無し」とある。備えるということは、予測の困難さに思いを馳せ、突発的に大地震が起きることも覚悟し、防災情報や新知見に注意を払い、考え得る事前対策を怠らないことである。といって、朝から晩まで緊張しながらの生活は長続きしないし無理がある。であるならば、今のうちに出来得る限りの耐震対策や防災備蓄をした上で、日常生活を享受するしかない。「悲観的に準備し、楽観的に行動する」ことも大切である。 さらに続きとなる記事<巨大地震は一度で終わらないかもしれない…「南海トラフ巨大地震」の「激しすぎる揺れ」の想定>では地震の想定について、さらに詳しく解説します。
山村 武彦(防災システム研究所 所長)