2023.1.24、神人さんから発信されていた「続大日月地神示/因果の仕組み」をシェアします。
「今後、人は神と獣に振り分けられるが、どちらを選択するかは自分の思考・言動次第」という教えが述べられています。
人を神と獣に振り分け
みなみなかわるかわる。ありがたいありがたい。ひふみよいむなやことももちよろずうー。
これからのこと申すぞ。
人が人で無くなってゆくこと顕れるから、気つけねばならんぞ。これまでとは異なる人となってゆくのじゃ。
神の子として感謝の念に包まれ光輝く御人と、獣のごとく荒々しく暴力的となり目つきが陰の気放つヒトとに分かれて行きますぞ。
闇の仕組みに引っ掛かりた人々は、思考も感情も更に操られてゆくゆえ、己同様に思い込み、心身共に病んでゆきますのじゃ。
病の種、仕込まれておると、怪しき波動に繋がりて、魔の指示を受け取るようになりますのぞ。
みな同じこと口にし、同じような所作致し似た顔つきとなるのぞ。いずれ人が、神と獣とに振り分けられる時来るぞ、と申しておいたであろうがな。
人民、魔の悪しき仕組み分からんから、ありえん作り話じゃと思うて笑う者多いなれど、火事起きてからでは、にっちもさっちもゆかんようになるから、
火、着けられんうちから教えてきたなれど、神示、心の鏡に映せる御魂少ないから、千万ある真、理解出来んなれど、
縁ある者たち引き寄せ、ひとつひとつ学ばせ御役に使うより他ないのであるのぞ。
人民みなみな救いたいなれど、分かる者と分からん者とそれぞれ分相応の因果となりますのじゃ。
神は居らん、善なる靈団靈人は居らんと拗ねて、悪く思い込む者おるなれど、省みよ。
そなたを救いたいと思うなれど、そなたが耳貸さぬゆえ、事実を見ようせんゆえ救えんのでありますのぞ。
長い長い歳月掛けて伝え導いて来たのじゃが、やはりそれぞれの身の丈でありますのぞ。御理解下されよ。
未来は思考と言動による
過去の生からの因縁因果として、これからの未来は個々に頂かねばならんのじゃ。
益々喜ぶ御人と、益々苦しむ御人に分かれて行く定めぞ。
個々、選択した因果、未来に顕れくるから、いずれであれ、ありがたく頂きなされ。
そなたに必要な学びでありますのぞ。それが、分相応の未来でありますぞ。すべてはみな、因果の仕組みでありますのじゃ。悟りなされよ。
思う、言う、行うがゆえの未来ぞ。
真の教えは、甘くも辛くも、旨くも不味くもなりますぞ。それが、そなたに必要な今の味付けでありますぞ。
想像する、思う世界が、すべて事の始まりとなりますのぞ。
そなたが選んだ想念が、そなたの未来の元であるのぞ。良き習慣も悪しき癖も、みなそなたが選んだものでありますぞ。
相手に頭下げるも腹立てるも、すべてそなたが決めておるのぞ。どうじゃ、それで誰彼のせいにはできまいに。
人、異なれば、受け取り方、変わるのぞ。ゆえに親のせいにするでないぞ。性格のせいであると逃げるでないぞ。
己、選んだ感情と思考であるのぞ。そのことよくよく理解致し覚悟決め、ひとつひとつ丁寧に自問自答しながら選択し生きねば、喜びの道は歩けんのぞ。分かりたか。
それで良いか否か。間違いないかどうか。何故そう思うのか。己の真の望みであるかどうか。一切合切、映し鏡として捉えなされよ。
今、何を問われておるのじゃ。
それぞれの指導靈殿、そなたの選択の仕方、一部始終見ておりますぞ。思考に顕れますから、尋ねてみなされ。
ゆえに先ずは挨拶なされよ。
日々感謝申し上げなされよ。
みなみなうれしうれしたのしたのしかわるかわるありがたいありがたいありがたいのう。
おーーーうーーー、おーーーうーーー、おーーーうーーー。
2023.1.24 大宇大神御靈 神人使いて申す。
ここまで
これから、"目覚めている人”と”そうでない人”とに振り分けされるという。
特に病の種(ワクチンに入っているチップのことかも?)が仕込まれている人は、魔から思考を操られ、心身ともに病んでいく、と述べられています。
そして、自分が「思ったこと(思考)」、「言ったこと(発言)」、「行ったこと(行動)」が自分の未来を形作るとも述べています。つまり、自分の未来は、今の思考と言動で決まるということです。
今何を考え、どう行動するかは自分の選択(原因)であり、いずれ、その結果が未来に目の前の現象として表れます。
そのため、日ごろ、「不平、不満、悪口など」マイナスの言動が多いと、その後はマイナス波動の世界が生じます。
だから、闇側は、テレビや5Gなどからマイナス思考を送り込み、世の中を争い事や戦争する風潮に仕向けて、地球の波動を低くしようとしています。
闇側は、自分たちの仲間(獣側の人)を増やすべく、人々に低い波動の思念を送り続けているのです。
従って、今後、どんなに厳しい試練が待ち受けていたとしても、愛と調和、感謝の気持ちといった高い波動を保ち続けられるかどうか、が問われており、常に、守護霊・指導霊に見られているということなのでしょう。